エンジニア人生を振り返ってみる【K社編|前編】

体験談

ゆゆとりのエンジニア人生を振り返ってみるシリーズ。その4。
今回はK社編の前編です。

前回の記事はこちら
https://yuqyuq.com/yuqyuq/?p=1786

K社 社員/年収330~360万円 [プログラマ/SE/リーダー](23歳~24歳まで在籍)

年末にバイト期間含め、4年半務めたZ社を退職した私は現場でスカウト(格好よく言えば引き抜き)された私は20名規模のSIerであるK社に入社しました。
最初の3か月はSCSKの一員としての偽装派遣に近い形で常駐してプログラマとして働いていました。
この時はまだ23歳だったこともあり、平社員のペーペーとしての参画。
当時のK社では一番の若手でした。言語はJava、DBはOracle。ひたすら仕様が決まった画面をプログラミング。THEプログラマな仕事スタイルでした。
この仕事内容で、月の給与が21万5千円から30万円になったので驚きです。

そして4月。
私は本社に戻され新卒達の研修講師になりました。
新卒達とは私が一番年齢が近いということもあり講師に任命されました。
その数、20名規模の人員に対して新卒7名が加わりました。
3分の1が新卒というヤバさです。いくら何でも雇いすぎだろ……。

当時、新卒のプログラミング研修の内容は全て私が考えました。
Javaで作る会員登録システム。Strutsで作っていただいた記憶、懐かしい。
この頃は同世代と絡むこともできて割と楽しかった気がします。
新卒のメンターというかリーダー的なこともやりました。

それからしばらくして人事の人が入社。
K社初めての専任人事です。この人から人事の仕事を手伝ったり教えてもらったりしました。
中途の面接や法務処理、人事制度の確立などもやりました。
こういった経験はエンジニアと関係ないように見えてもマネジメントをやるようになると経験が生きてくる。
エンジニアはエンジニア以外の経験もやっておくと後々様々なところで経験を生かせることも多いです。

この時のK社は勢いがあって手を上げれば色々やらせてもらえる環境でした。
私はというと、SESで常駐・・・はせずに社内で情報システム部的なものを立ち上げて、簡易給与システムの管理やサーバ管理をやっていたりしました。
そのうち、社内で独自のパッケージソフトを開発しよう!となり新卒達と一緒にJava+Strutsでパッケージソフトを作ったりしていました。

開発していたパッケージソフトは今では珍しいクラサバタイプでSES向け人材管理システムを作っていました。
内容としてはSES事業では、エンジニアを特定派遣に出すので、その人のスキルや経歴を管理するシステムです。
SESに関する受注、発注も管理できるようにしていたのでSES会社の営業にとっては使いやすいシステムだったかなと思います。

これをまずは社内で使ってみて、やがてパッケージとして社外展開という想定だったのですが・・・トライアル数社までいきましたが売れはしませんでした。。。
経験数年の若造と新卒が作ったソフトが売れるはずもなく、世の中そんなに甘くないですね(笑)
ただ、私としては他社でこのパッケージの紹介をしたり、価格交渉をしたりと営業に同行してセールスエンジニア的な役割を経験できたので貴重な経験が24歳にしてできたなと思いました。
K社に居ることで人事だけでなく、情シス、総務、営業と経験が出来たのです。
エンジニアがここまでの経験を20代前半で経験できるのはかなり凄いことなのではと今でも思っています。

そんなこんなで社内で充実していた仕事人生を送っていた私ですが暗雲が訪れます。
SES会社ですからね、主体は”客先常駐”なわけです。
当時、売上のほとんど全てはこの客先常駐のSESスタイルで成り立っていたので当然私にも「常駐しろ」と他の社員からの冷たい視線を浴びせられることになります。

このあたりからK社での私の立ち位置が微妙になってくるわけです―――。

K社編、後編につづく。

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