エンジニア人生を振り返ってみる【Z社社員編|後編】

体験談

ゆゆとりのエンジニア人生を振り返ってみるシリーズ。その3。
今回はZ社社員編の後編です。

前回の記事はこちら
https://yuqyuq.com/yuqyuq/?p=1758

Z社社員編 社員/年収240~330万円 [プログラマ/SE/現場リーダー](新卒20歳~23歳まで在籍)

Z社でも珍しい超優良案件だった大手建設会社の案件から撤退することになってしまった筆者。
その後、筆者は本社に戻り詳細設計以降の小規模案件を複数こなしていくことになります。
いわゆるスポット参戦案件ですね。プログラミングする人の手が足りないから手伝ってくれっていうやつ(笑)

正直、当時のZ社はブラック企業だったので終電乗り遅れることもしばしば、土日出社も上等でした。
社内のメンバーはいつの間にか入れかわり知らない社員がちらほら……。
いや、社員だと思っていた人は協力会社の人で知っていた社員は既に退職している状態。

5人居た同期の新卒仲間もこの時点で新卒同期のメンバーも私を含めて3人。
一人は営業配属で、スーパー営業マン状態の泊まり込みばかりの状態。
もう一人は鬱?だったのか休職中で姿を見ることもできず。
大手建設会社のまともさを経験した私は、Z社のヤバさにようやく気が付きます(笑)

脱出を考えていた矢先、「光学機器業界向けDWH構築&BIレポート開発」が私に割り当てられます。
内容はBIレポートの作成とDWHの構築。有楽町、銀座エリアの常駐案件です。
更に今回の私の立場は増員メンバー、つまりソルジャーです。
しかも、既に常駐先には同じチームの先輩社員が常駐している状態。
当時、この先輩社員とあまり親しい間柄でも無かったんですよね……。正直憂鬱でした。

まあ、嫌がっても断る権利の無いソルジャーである私です。
言われるがまま、某カメラ業界の本社に常駐することになりました。
立場としてはCSCKの子請けという立場。
一次受けのCSCKからBI部分についてはZ社で対応する体制です。

更にこのときZ社の社員は私と前述した先輩社員だけだったのですが、もう一人Z社の社員という立場で見知らぬ人が2人いました。
酒好きのおじさんとオタクでモジャな青年。この2人はいわゆる2次受けのZ社から仕事をもらう孫請け会社の人ですね。
この人に関してはZ社のプロパーであると、説明しているあたりIT業界の闇を感じるところです。
ちなみに私は酒好きおじさんとは仲良かったのですが、オタクモジャについては仲悪かったです(笑)
なんか、この青年には舐められていたような気がしています。まあ過去のことなのでもういいですが。

さて、ここでの私の役割は一イチプログラマです。
Hyperionレポートという帳票を作成しつつバックエンドではRuleと呼ばれるVBスクリプトを拡張したような言語で開発をしてBIレポートを作ってはテストしていきます。
某大手建設会社の案件では現場リーダーまで上り詰めた私ですがここでは単なるソルジャーです。
正直、詳細設計以降の開発業務であれば慣れたものです。実際、開発業務はそこまで難しくなかったです。

内容としては会計向けのレポートだったので実績と予算、いわば予実管理のレポートでした。
ここで仕様理解として会計の知識が必要だった部分には苦戦しました。
当時、CSCKの方に「簿記3級レベルは取得したほうが良い」と言われました。
私は独学で勉強して簿記3級レベルの知識をこの時に習得しました。(時間が無くて試験は受けていなかったのですが)

今、思えばここで簿記の知識を得ておいて良かったです。
後に経理関係のシステムにも携わったり、会計知識がマネージャー昇格要件になったりするのですが、ここで得た簿記の知識が多少なりとも使えました。
やはりシステムエンジニアも簿記の知識はあったほうが良いですね!フリーになったときにも使えますし!

ここでの私はというと、CSCKの方々に可愛がってもらったような気がします。
HyperionレポートやRuleの開発手法についても教わったし、Oracleで構築したDWHについても教えてもらえました。
ついでに前述した酒好きおじさんとは自動販売機でお酒を買っては語るのが日課になっていました。
あの頃はお酒が気軽に自動販売機で買えたんだよなー。

対して、Z社の先輩社員とモジャ青年は何も教えてもらうこともなく、ただただ私のソースに文句をいうばかり。
CSCK側のソースレビューは通っているにも関わらず文句を言う。
ここは変数化するべきだ、Function化するべきだ、正論ではあるもののRuleの作り上やらないほうが良いパターンだったり。
そもそも当時の私がZ社に対して生意気だったので敵対視されていた、ついでにその先輩社員の奥様もZ社で働いていてその奥様とは仲良くしていたので、それが気に入らなかったのか。
今となってはよくわからないですが、当時の私は自社の人間と話すよりもCSCKの方と話している方が楽しかったです。
この時点でZ社への気持ちはほぼ無かったんだろうな。。。

レポート作成とバッチ処理のプログラミングをしながら、時にはCSCKの方々とランチに行ったり、酒好きおじさんと飲みに行ったりと、ここの現場でもそれならいに充実した仕事生活を送っていました。
そんなとき、CSCK社員のひとりが辞めることに。どうやら知り合いのSIerの会社に行くとのこと。
そして、その方にはZ社の待遇を話していたことから、私も誘われることになります。
もっとも、ここの会社は小さいSIerで一族経営な雰囲気のある会社です。

と、同時にCSCKにも誘われます。どうやら私の働きぶりが良かったとのこととZ社の待遇が良くないことを知ってのこと。
何より一緒に働いていたCSCKの方々が私のことを評価、気に入ってくれたというのが何より大きく私にとってもZ社より大きいCSCKに誘われたのは光栄だと思っていました。
提示されたポジションも同じ年齢層より上のポジションだったし、給与も上がる。

更に幸運は続き、一つ前の現場である某大手建設会社の方からもお声がけを頂きました。
欠員が出たため情報システム部に空きが出たらしく契約社員からのスタートであれば面接ができるかもしれないとのこと。
ここに入れたら間違いなく給与はUPです。

そんな私が選んだのは―――なぜか、一族経営なK社。
社員数15人程度の零細企業だけど、自由に出来そうだったのと、役員と面接した時にノリが軽かったんですよね。

なんせ、履歴書も不要だったし、即入社可能だし、年収400万程度って言われたし(笑)

CSCKは正社員だけど入社まで最短3か月で時間かかりすぎだったし、某大手建設会社は最初は契約社員で社員昇格は1年以上先、と手順が固すぎて見送り。
・・・・・・いやー、当時の私は若かった(笑)

今なら、絶対に某大手建設会社を選びます。

1年限定で契約社員やっても大手で事業会社の安定感を考えればこれ一択でした。
しかも、会社の雰囲気も知っているし優良企業なのもわかってたし。

当時の私の馬鹿げた選択ものちに大きな過ちだったわけですが、それはまた次回以降に……

結局、バイト時代含めて4年半続いたZ社に退職の意思を伝えました。
現場の先輩社員には嫌味を言われ、同期は消息不明、帰社しても知らない人ばかりの中で私は退職届を管理部に届けました。
最後にはこんな誓約書を渡されて……(※以前の記事参照)
ブラック企業の退職時秘密保持誓約書がヤバい

一度だけ給与が上がったもののZ社では月給20万5千円、年収はボーナス含めて最大330万円でした。
4年半居たけど、その間にお世話になったほとんどの人は退職していたので、この頃はZ社を辞めることが嬉しかった記憶しか無い(笑)

まあ、次のK社もなかなかの会社で私のIT土方人生もまだ続きます―――また次回!

続きの記事はこちら↓

エンジニア人生を振り返ってみる【K社編|前編】 – 悠々自適にゆくゆくライフ

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