エンジニア人生を振り返ってみる【K社編|後編】

体験談

ゆゆとりのエンジニア人生を振り返ってみるシリーズ。その5。
今回はK社編の後編です。

前回の記事はこちら
https://yuqyuq.com/yuqyuq/?p=1797

K社 社員/年収330~360万円 [プログラマ/SE/リーダー](23歳~24歳まで在籍)

K社に入社してから新卒講師、人事と総務の経験、自社パッケージソフトの開発、ECサイトの構築と様々な経験を積むことができた私はK社で楽しくやっていました。
特定派遣の仕事は免除され本社で、リーダー的な動きも覚えてきて人材採用のコツも習得し、セールスエンジニアの仕事もこなす日々。
時にはECCUBEにハマり、個人経営のリサイクルショップに営業をかけ、そこの店長と仲良くなり商品を引き取りECCUBEを使った通販サイトを立ち上げたり、新卒のアイディアで携帯向けのモバイルサイトを立ち上げたりとなかなか楽しかったです。

・・・まあ、ほとんど失敗しましたが(笑)
色々と提案して通ってとにかく行動して、開発して結果を出そうと動くことが出来たこの時期は充実していました。
当時の月給は30万円でしたが、正直なところ自発的に終電まで残って作業してしまうぐらい楽しかった。一つ前のZ社は嫌々残業していたからな。。。

さて、そんな時です。役員の方からメールが届きました。
内容としては私と新卒達で開発した自社パッケージソフト(もどき)での追加改修が当初の期限より遅れてしまったことに対して遺憾のメッセージが届きました。
納期遅延は良くないことですが、当時リーダーをやっていた私としては憤慨したわけです。
お客様先からの文句があったわけではない。残業代請求せずに終電まで開発を行っていた。必ずしも納期に終わらせる必要のない自社パッケージであること。
1次フェーズにて新卒だけで作って形にしたところまで出来ていたものに対して大して評価もせずに悪いところだけをみていたこと。

―――そういったところに私は憤慨してしまったわけです。
もっとも、予定していた時期に終わらせることが出来なかったことはよろしくない。
リーダーである私に責任がある。それはわかっていたものの、しかし書き方は良くないだろ、と思ったわけです
まあ、今なら抑えることもできますが当時の私は20代前半だったもので、若さもありましたね笑

その1件で新卒達との仲は良くなりましたが、上層部との仲が少々悪くなりました。
更にそこに輪をかけて、帰社日には自社パッケージソフトは「売れない」と負の評価を受ける始末。
実際売れていないし、確かにそうかもしれない。しかし、社長の命をうけて開発していたもの。そこまで言われる筋合いはない。
何というか、SES企業なので顧客先に常駐して人月で稼いでいるのはその通りかもですが、それで「俺は偉い」顔をされると苛立つわけです。

新卒だけでなく、人事や総務のメンバー含めて「食わせてやっている」
そう思っている連中が多いこと。人事や総務、経理も直接稼いでいるわけではないけどサポートしているわけですよ。
そのサポートがあるから、派遣先で常駐開発するだけで稼げるわけです。
私は本社に居たからそういう思考が出来ましたがSESやっている方々は本社の人間を目の敵にするわけで……。

やがて私や新卒もパッケージソフト開発という題目で”遊んでいるんじゃなく、きちんと稼げ”と常駐案件をやることになるわけです。
このタイミングで社長付けからSES大好きな上長Y井氏に変更。
「俺はこの会社で一番稼いでいる」と豪語していたな。今、思ってもY井氏の考えは間違っていると思ってる。
この人は私のやることなすこと全て気に入らないらしく終いには私が書いたブログにまでいちゃもんつける始末。
今、考えても器の低い人物である。

そういった流れで7人居た新卒のうち4人は常駐先へ。
私は常駐を拒否して社内で残った新卒達とパッケージソフトの追加改修、情シス、人事、総務の仕事をこなしていました。
この頃には、その次の世代の新卒も入っていたので、その新卒の研修講師も行っていました。
とはいえ、やはりSES企業では常駐しないと肩身が狭い。既に私の気持ちはSES会社であるK社にはありませんでした。
むしろ、「常駐するだけで稼いでいる顔をするこいつらは程度が知れている」と思うようになってしまいました。
(これはこれで、当時の私の考えは甘かったなと今となっては反省しています)

さて、K社に入って2年目。この時期になると当然昇給があるはずです。
しかし、無かったんですよねー。
この時期は2009年。リーマンブラザーズのせいでIT業界は不景気になってしまったわけです。
そのため経営不振。人件費で圧迫されてK社は潰れるかもしれない。
まあ、私としては潰れるなら潰れるで良かったわけですが、社長としては社員の家族含めて雇用を守っていかないといけないわけで。

社員全員給与1割カット!

が宣言されたわけです。
社長がいうには役員クラスは既に”月額報酬”はもらっていない、と。
なので今度は社員の皆さんの給与をカットしないと会社がつぶれる、というわけです。
当然、批判もありますが潰れるよりは、と皆さん納得していましたね。

私はこの時点で転職を決意しました(笑)

更に私だけが気が付いた事実があります。
当時、私は経理業務の一部も対応している状態で会社の経営状況を他の社員より細かく知ることが出来る立場にありました。
その時、気が付いてしまいました。
役員の”月額報酬”はゼロ円でも”役員報酬”はそれなりにもらっていたことを。
確かに”月額報酬”はゼロ円ですもんね、嘘はついていないですが”役員報酬”の存在を隠す会社に愛想が付きました。

それ以来、私は上司とも大して話すこともなく、社長や役員ともあまり話すことのない生活になりました。
転職活動も始めていたので常駐案件は断り、自ら営業をして小さいAccess案件ではありますが、社内開発案件をとってきて自分の給与ぐらいは稼いでいました。

転職活動ではSES企業に愛想がつきていたので、事業会社の情報システム部を狙っていました。
幸い、活動を始めてすぐに地元千葉県の売上1000万企業の通販大手の会社に転職が決まりました。
当然、年収も上がります。

私は嫌な上長とはもう話もしない関係だったので社長に辞めることを話しました。
社長としても「転職する雰囲気はあったからとめるつもりはない」と言われました。
よっぽど、私は嫌そうな顔をしていたのですね。
今、思えばこういう辞め方はよくなかったかもしれない。もう少し円満退職する方法もあったかもしれないと反省しています。

ともあれ、転職が決まった私。
ちょっと前に新卒のうちの1人も辞めました。
仲良くなった新卒メンバーを残していくのはちょっと後ろ髪惹かれましたが、このままK社にいても給与も下がっているしで意味は無し。

私は24歳で3社目の新天地に旅立ちました。

つづく。

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