裁判員制度で裁判員になった話【裁判員評議編】

体験談

ゆゆの裁判員になった体験記その7。
裁判員に選ばれてしまった筆者の思い出を体験談を交えて書き連ねていきます。

前回の裁判員裁判法廷その3編はこちら

裁判員制度で裁判員になった話【裁判員裁判法廷その3編】 – 悠々自適にゆくゆくライフ (yuqyuq.com)

1.最終陳述、そして

4日目。いよいよすべての証言、証拠が出揃い裁判員として本格的な評議に入る非。
午前中は検察からの論告、弁護人からの弁護、そして被告人からの最終陳述でした。
検察官は法廷で調べられた証拠に基づき,事実及び法律の適用について意見を述べます。
やはり、検察からの被告人への求刑は9年。
9年というのは素人的にはもっと多くても良いだろうと思いますが、それとは別に検察の言うことはとても説得力がある。
ここまでの証拠の出し方も適切。事実であると考えられるものばかり。

対して弁護側は最後の最後まで主観的な内容でした。
ここまでの流れから被告人側は証人も来ないし、被告人に有利な証拠もなく、実刑4年を望まれても難しい印象。
そもそも傷害致死で人が一人亡くなっている事件なので個人的にも4年でシャバに出られても、と思ってしまう。

被告人の最終陳述では罪を認めて被害者の方にはお悔やみ申し上げます、と言葉が出ていました。
あまり多くは語りませんが、連日裁判で被告人、弁護人、検察、証人の話を聞いていて立場が違えば証言が異なるのも当然なのだなと感じました。
裁判員として私は複雑な気持ちで、ここまでの最終陳述を終えたと記憶しています。

2.評議

午後からいよいよ裁判員の本題ともいえる評議が開始されました。
ここから判決の前日までひたすら話し合い、証拠確認の日々です。
この評議の結果で被告人への判決―――強いては被告人の今後の人生が決まります。
なんとも責任重大な立場です。

評議はコロナ禍だったこともあり、円卓を囲むわけでもなくアクリル板をはさんで相手の裁判員の方と向かい合う形式でした。
隣との距離も少し離れていました。

流れとしては裁判長がまず今回出揃った証拠の確認をしていきます。
その中で、証拠の内容について皆さんで復習しつつ記憶を呼び覚ましていきます。
その時の状況、その時の証拠、その時の証言。
全てを裁判官の方々と一緒に一つ一つ丁寧に確認していきます。

ある程度、事件のあらましや証拠の復習が終わると最初の判決の多数決をとることになります。
ここで裁判長から『裁判データベース』なるものから今回の事件と同じレベルの犯罪を他の裁判ではどのような判決が出されたかを示されます。
このデータベースですが、過去に取り扱った様々な事件の記録が残っており、いろんな角度から検索を書けたりすることもできます。

期間、犯罪の種類、反省の有無、凶器、原因等…今回の判決において重要な資料になること間違いなしのレベルです。
さて、このデータベースからわかったことは、今回の傷害致死事件の平均となる基準が”懲役7年”だったことです。
なるほど、、、おそらく検察も弁護人もこのことはわかっていたのでしょう。
求刑9年と4年、まさしく平均をとったかの数字です。

まあ、ここで私が思ったことは裁判長がはっきりと、
「この傷害致死事件ではおおよそ7年が平均で基準になります」
と申したこと。

ここで基準が示されることにより無期懲役のような明らかに重い刑は課すことができなくなります。
正確には課しても良いのですが、その場合、新たな証拠を見つけるなど状況を覆すような証明が必要です。
到底、裁判員にそういったことは不可能なので、気持ち的には無期懲役でも7年の懲役を基準に考えざるを得ません。
よく検察の求刑に対して8掛けになりがち、というのはこういう理由もあるのだと思います。

さて、いよいよ判決内容の投票開始です。
この投票にも裁判員裁判には独自のルールが存在します。

それは、単純な多数決ではなく、もっとも多い投票且つ裁判官と裁判員がともに票を入れていることです。
裁判員だけの票が多くても意味が無いのです。
裁判官の票も必要で、これには裁判官と裁判員が話し合いで決めたことを示すためだそうです。

このルールの前提で1回目の投票です。
論点は懲役を何年にするか。
今回の事件では人が亡くなっているので執行猶予はありえませんし弁護側もそこは覚悟しています。
※執行猶予をつけられるのは懲役刑3年まで。

この時の結果はあえて書きませんが、相応の刑期です。
1回目の投票の後、更に評議が行われます。
裁判員一人一人が意見を出し合い、裁判官も加わって話し合いは進みます。

裁判で判決までの過程はもっと簡単なものかと考えていましたが実際は異なりました。
それなりのプロセスがあり論理的に順序を立てて話し合いを進めていきます。
この結論に結び付けるまでの評議の流れは実際の仕事にも応用できることかもしれません。
そういった意味では裁判員として得られたものもあったと言っても過言ではありません。

私の場合は評議が2日間ほど続きました。
その中で証拠を洗い出し、状況を確認して、裁判官と裁判員の認識を一致させていきます。
この評議は全員の証拠が出揃い、全員の不明点がなくなるまで続きます。

他の方の裁判員体験ブログではお菓子を食べながら、という方もいたそうですが、
私の回では、そういうことはなく良い意味で堅く真面目に取り組んでいました。
無駄な雑談も一切ありませんでした。

通常の予定では3日間だったので予定よりスムーズに進んだ形になります。
2回目の投票も行い、最終的に刑期が決定します。
他の裁判員の方と刑期についてはそこまでずれはありませんでした。

ここで一つお伝えしておきたいのは、量刑はこの評議を通して時間をかけて裁判官と裁判員で決めたものです。
よく巷で言われている求刑の8掛けで適当に決めている、と言われていたりしますが、そんなことはありませんでした。
過去のデータベースから妥当な刑期を出し、それを今回の事件に当てはめて考えるとおおよそ8掛けになる、ということなのだと思います。

こうして評議の末、量刑が決まり最終日である判決の日になります。

今回はここまで。
ゆゆとりの裁判員体験ブログは次回で最終回です。

最後に、昼休みのときに千葉地方裁判所の近くにある猪鼻城跡(亥鼻公園)に行ってきたときの写真を掲載しておきます。

猪鼻城跡(亥鼻公園)


近くで見ると結構迫力ありました(笑)

つづきはこちら

裁判員制度で裁判員になった話【判決編】 – 悠々自適にゆくゆくライフ (yuqyuq.com)

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